Malus RF Works

技術ノート

ブラウザで動く電磁界シミュレータを公開しました — モーメント法で何が見えるか

整合回路の設計をスミスチャートL 型整合の手順で進めていくと、最後に必ず同じ壁に当たります。紙の上の素子値を、基板の形に落とした瞬間に話が変わる、という壁です。

部品のパッド、部品どうしをつなぐ配線、グラウンドへ落とすビア。回路図には現れないこれらが、GHz 帯では素子と同じだけ効きます。そして回路シミュレータは、それを教えてくれません。回路シミュレータが解いているのは回路図であって、基板ではないからです。

そこで、平面回路をモーメント法(MoM)で解く電磁界シミュレータをブラウザ上で公開しました。

sim.malusrfworks.com

インストールは要りません。開いてグリッドに導体パターンを描き、計算実行を押すと S パラメータと表面電流分布が出ます。計算はすべて閲覧者のブラウザの中で行われ、描いたパターンがサーバへ送られることはありません。

モーメント法は何をしているのか

商用の平面電磁界ソルバ(Momentum、Sonnet、AXIEM など)が使っているのがこの方法です。考え方そのものは難しくありません。

導体の上に流れる表面電流を未知数に取ります。導体を細かいセルに割り、各セルの電流を未知数 I とすると、ある場所の電位や磁気ベクトルポテンシャルは、すべてのセルの電流からの寄与を足し合わせたものになります。あとは「導体表面では電界の接線成分がゼロ(理想導体なら)」という条件を各セルで書き下すと、

Z · I = V

という連立方程式が立ちます。Z は「セル m の電流が、セル n の位置に作る電界」を集めた行列です。これを解けば電流分布が出て、ポートの電流と電圧から Y 行列、そして S パラメータが得られます。

要点は、未知数が導体の上にしかないことです。有限要素法や FDTD のように空間全体をメッシュで埋める必要がありません。そのぶん平面回路では圧倒的に速く、ブラウザの JavaScript でも実用的な規模が解けます。今回の既定設定だと未知数は 186 個、121 周波数点のスイープが 1 秒足らずで終わります。

その代わり、Z密行列です。未知数 N に対してメモリは N²、求解は N³ で増えます。細かく割れば割るほど良い、とはならないのはこのためです。

ギャップの容量を読む

具体例で見ます。プリセット「ギャップ」は、線路を途中で 1 セルぶん切っただけのパターンです。εr = 4.4、厚さ 0.8 mm の基板、1 セルは 2.199 mm。

計算すると、通過特性はこうなります。

0.50 GHz : S21 = −58.3 dB
1.88 GHz : S21 = −49.0 dB
3.25 GHz : S21 = −41.0 dB

周波数が 2 倍になるごとに約 6 dB 増えています。 これは直列容量 1 個のふるまいそのものです。50 Ω 系に直列容量 C が入っているとき、C が十分小さければ

S21 ≈ 2·jωC·Z0

なので、逆算すると C ≈ 4 fF と読めます。0.5 GHz で計算しても 3.25 GHz で計算しても同じ 4 fF が出ます — つまりこのギャップは、この帯域では周波数に依存しない 4 fF のコンデンサとして扱ってよい、ということです。

回路シミュレータでこれを扱うには、まずこの 4 fF を知っていなければなりません。電磁界シミュレータの役割は、まさにこの値を出すことです。

線路の共振周期で εeff を確かめる

もう一つ、プリセット「直線」。17 セル、37.4 mm の 1 セル幅ストリップです。この幅の線路は Hammerstad-Jensen の閉形式で Z₀ ≈ 39.9 Ω, εeff ≈ 3.43 になります(この値はツールの左側に表示されます)。50 Ω 系から見ると不整合なので、反射が出ます。

121 点で細かくスイープすると、S11 が深く落ち込む点が 2 つ見つかります。

1.921 GHz : S11 = −43.4 dB
4.029 GHz : S11 = −57.2 dB

間隔は 2.108 GHz。これは線路が半波長になる周波数の間隔です。閉形式の εeff = 3.43 から予想すると

Δf = c / (2 · L · √εeff) = 3×10⁸ / (2 × 0.0374 × 1.852) = 2.17 GHz

で、実測 2.11 GHz との差は 3 %。MoM が独立に解いた結果が、伝送線路の閉形式と 3 % で一致しているわけです。残りの差は、端の垂直給電やパターン端の電界の広がりが実効的な長さを少し伸ばすぶんで、これも実際の基板で起きることです。

こうやって既知の答えがある構造で確かめてから、答えのない構造に進むのが電磁界シミュレータの正しい使い方です。いきなり複雑な形を描いて出てきた数字は、合っているかどうか誰にも分かりません。

何が厳密で、何が近似か

教育・可視化を目的にしたツールなので、限界ははっきりさせておきます。

厳密に扱っているもの:単層接地基板のグリーン関数(画像級数)、セル面積分(閉形式・数値求積なし)、導体の表皮効果を含む面インピーダンス、導体境界のエッジメッシュ。

扱っていないもの:放射、表面波、分散。準静的な定式化なので、セルが波長に対して大きくなる高周波では誤差が増えます(セル/波長を上げてください)。損失は信号面のみで、グラウンド面の損失は数えていません。ビアの相互インダクタンスも無視しています。

つまり商用ソルバの代わりにはなりません。基板を起こす前の最終確認には、きちんとしたソルバを使ってください。このツールが向いているのは、「ギャップを 1 セル広げたら容量はどう変わるか」「スタブの根元にビアを足したらどうなるか」といった傾向を掴むことと、電流分布を見て何が起きているかを理解することです。

計算後に「表面電流」タブを開くと、電流密度の分布が 3D で出ます。位相を進めると波が線路の上を進む様子が見えます。S11 だけでは分からないことが、ここでは目で見えます。定在波が立っている場所、電流がエッジに集中している様子、ビアへ吸い込まれていく電流。整合の話がスタブのような分布定数に移ったとき、この絵があるとないとでは理解の速さがまったく違います。

数値モデルの詳細(グリーン関数の形、メッシュの切り方、検証結果)は、ツールの「計算モデル」タブに全部書いてあります。何を信じてよくて何を信じてはいけないかを判断する材料として、そちらも読んでみてください。

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